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2024/05/14 (Tue)
兄さんと トロッコ列車で亀岡~嵐山へ行き
大河内山荘近くの竹林や落柿舎(残念ながら工事中)を歩き
天竜寺の美しい庭園を眺めてきました。


嵐山といえば渡月橋

ただ、季節が中途半端なので何処もかしこも枯れ風情。
春爛漫、桜の時期に来たらパラダイスだろうなぁ。

それでも京都散策はすごく楽しくて
行く度に違う表情と仕草を見せつけられ魅了され、
再び足を運ぶことを誓うのです。
嗚呼…次は何処へ行こふか。


嵐山から嵐電に乗って四条大宮まで出たので
私の希望で再び壬生寺と屯所跡へ行ってきました。


もうそろそろ壬生寺が見えて来る頃、
なんと、向こう側から新選組隊士が大量に歩いてくるではないか。
唖然とする私に兄さんが「急げ!」と言い
ふと我に返って慌てて猛ダッシュ!!

どうして新選組の格好をと訳を尋ねたところ、
なんでも町おこしの一環で新選組の衣装をレンタルしているらしく
それに参加されたご一行とのことでした。

大量の隊士を見て浮き足立った私とも快く写真を撮っていただき
めちゃ嬉しかったです。
迫力と貫禄がありカッコよかった!
本物の隊士が目の前にいたらこんな感じかなぁとか妄想炸裂でした。
福岡のイケメン新選組隊士の皆様、本当にありがとうございました。





ってことで誰か私と一緒に衣装を着ないかい?


NPO法人「京都新選組町作りの会」
http://www.kyoto-mibu-shinsengumi.jp/index.htm
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壬生寺へは10数年前から行きたいと思いつつ
なかなか実現しなかったので
今回はものすごく良い機会と勢いだったのですが
いかんせん手持ちの資料が少ない。

京都のガイドブックを2冊持っているのですが
壬生寺の事を書いている本がそのうち1冊しかなく
内容もめちゃめちゃ大雑把。
その貧相な地図を頼りに北へと歩くものの
見事に道に迷ってしまいました。
仕方がないので携帯GPSを使ってようやくたどり着く。



壬生寺には新撰組局長の近藤勇と
池田屋騒動で亡くなった隊士のお墓があるのでお参りしていく。

国の為、自分の出世の為とはいえ
33歳で亡くなったって信じられない。
今年、同じ年齢になるけど責任感なんて一欠けらもないよ。

壬生寺でご朱印をいただいた後、屯所跡へ足を運ぶ。


現在、壬生寺付近で屯所跡として残っているのは
八木邸と前川邸だけのようです。
当時は10箇所くらい借りていたとか。


八木邸は京都市指定有形文化財に指定されており
きちんとした案内をしてくれる人もいて
一番充実した時間を過ごすことができました。
入館料が1,000円と割高ですが
説明とお茶菓子がついてくる上に
何より文化財の中に入れてくれるのなら十分価値があります。

書置きだけ残して家を出てきたので
ここで家へのお土産のお饅頭と、兄さんへのお土産を買う。


八木邸には「誠」の旗が立っています。
説明を聴いた後だけに、見ただけで気持ちが燃える。

八木邸を後にしてお次は前川邸へ。

前川邸は民家になっているらしく
見学らしい見学ができませんでした。
お土産物屋さんみたいになってる…。
ここでは前川邸の地図だけ購入して帰りました。


このまま電車に乗り河原町まで出て
木屋町通の史跡と池田屋跡、酢屋を見て帰る予定でしたが
腰と足がバキバキで限界ヨロシクだったので
残りは次にして帰ることにしました。

帰りの阪急電車内で爆睡。
気がついたら梅田終点。
家に帰り着いたのはPM3時頃でした。
お疲れっス!


兄さんへのお土産は小物入れ?です。
巾着袋でもない不思議な袋。

表は局長~十番隊隊長まで名前が書いてあります。

裏には「局中法度(やってはいけないこと)」がずらっと。
 一、士道ニ背キ間敷事
 一、局ヲ脱スルヲ不許
 一、勝手ニ金策致不可
 一、勝手ニ訴訟取扱不可
 一、私ノ闘争ヲ不許
 上条々相背候者切腹申付ベク候也

迫力のある袋ですが、兄さんはえらく喜んでくれました。


本当は勝海舟が好きなので
海舟史跡めぐりをしたかったのが本音ですが
彼は生粋の江戸っ子なので、
思い立ったからといってすぐ行動できません。
でも、新撰組も魅力的でした。
ちゃんと勉強してもう1回行きたいと思います。
京都 新撰組史跡ツアーに行ってきました。
そうです、無事脱出に成功し一人京都へ。

京都駅に着いたのはAM8時過ぎ。
以前から行きたかった壬生寺を目標に
新撰組の史跡をたどっていきます


まず最初は「油小路の変」で暗殺され伊東甲子太郎が絶命した現場である本光寺前へ。


8時30分~開いていて、50円で資料をくれるという事前情報を
ネットで調べて楽しみにしていたのですが、
 【インターホンを押してください。
  説明案内は100円、資料のみは50円】
って張り紙があったにもかかわらず、寺は不在の様子。
8時半はとうに過ぎておりますが祝日だからしょうがないか。


悲しかったけど「伊東甲子太郎他数名殉難之跡」の写真を撮って
次の目的地へ。


気を取り直して北へ向かって歩く。
壬生屯所が手狭になった時に転居した「西本願寺」
屯所にしていた「太鼓楼」が目的。

しかし、西本願寺に到着したものの
丁度2日程前からずっと祭典をしているようで
今日は成人式の「おかみそり」の儀式があるそうです。
式典が何時に始まったのかしらないけど
9時ちょっと過ぎに到着。
『総本山だし読経だけでも聞いて行くか』と思ったけど
えらいお坊さんが入れ替わり立ち代り出てくるだけで
遅々として式典が進まない為、あきらめて太鼓楼と壬生寺へ向かう。


新撰組は西本願寺の「太鼓楼」という場所に居を構えていたそうですが
あ、工事中だ…

良い写真もまともに撮らせて頂けないとは。


西本願寺の本堂で少しは休憩できるかと思ったのですが
底冷えの寒さと正座にダメージをうけて
足と腰が少し痛み出す。


壬生寺へ向かう途中にある
島原遊郭の入り口だけでも寄って行こうと思ったのですが
大学時代に揚屋の角屋に見学に行ってるし
(螺鈿の部屋が素晴らしく美しい…)
寄り道をしては体に負担がかかりそうだったので
ただただ壬生寺に向かうことにする。
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